自分が大好きな人たちと認知のゆがみ

人間たいていの人は話し合えば分かり合えるとはいいますが、認知がゆがんでいる場合はできません。認知のゆがみという相手の根本的問題を解決する必要が出てくるからです。そして、往々にして認知のゆがみは解決できません。

 

私は昔。自己愛性症候群らしき人と遭遇したことがあります。

自分の実力を信じて疑わず、それゆえに周囲の認識が狂っている人たちです。すべての情報が、自分はすごいフィルターを通しているので、何があっても自分は正しいという前提が崩れません。

 
彼女と初めて会ったのは私が高校生のときで、最初の印象は物怖じしない社交的な人、よく話す明るい人、と言うイメージでした。
 

彼女はいつも自慢話をしていて、最初は「すごい」と周りに言われるものの、次第に実力が露呈していき、「あの人はちょっとうそつきだよね」と言われていました。たとえばマラソンが得意だと言っていたのにマラソン大会では真ん中ぐらいの順位だったり、自分は頭がいいと言っていたのにいくつも赤点をとって部活ができなくなったり、つまらないことと言えばつまらないことなんですが、そういうことを繰り返して信用を失っていきました。

また、他人とのトラブルが多く、自分が悪いケースでも相手を悪く言うので、次第に人が離れていきました。1・2度なら相手が悪いと言う主張が通ることもあるものの、何度も繰り返すと周りもだんだん、アレおかしいぞ?となって行きます。たとえば、部活のレベルが低くて物足りないからやめた、と言っていたのに、実は赤点を取りすぎたために部活停止処分になったことがあきらかになりました。黙っていれば赤点とは周りにはわからなかったのに、部活の悪口を部長の前で何度も繰り返し言ったので部長とけんかになり、話しが広がったそうです。

悪口が愚痴が多く、本当とうそを取り混ぜた話をして、気に入らない人間の評判を下げるようなことをいう傾向があります。

 

彼女の場合は、彼女が社交的に見えたのはに積極的に話しかけないと孤立するからでした。彼女といたときに偶然会った彼女の友達たちはみな携帯をいじって生返事したり彼女の目を見ない、を徹底していました。最初は変な人たちだと思っていましたが、友達と思っていたのは彼女だけだった、と言うのが真相でした。

 

正直に言って、大なり小なりこういう人たちはいます。自分のことをすばらしいと手放しで考えているので、自分を"攻撃"してくる人には容赦がなく、悪口陰口嫌がらせを行ってきます。

実力がない証拠があったとしても(マラソン大会の順位、体力テストの数値、定期テストや実力テストの点数など)、すべて捻じ曲げられ、自分ではなく周りが悪い、と言う結論になります。

話し合いが通じない人々なので、絶対にターゲットになってはいけないです。うそをつくことに抵抗がないため、風評被害が発生する恐れがあります。職場の人だったりすると精神をやられかねません。

戦おうとして、事実を述べても以下のようなことになります。

自己愛モテ女子に事実を述べるとウンコを投げつけられる

papuriko.hatenablog.com

私の場合は戦うつもりも何もなく彼女の覚え違いを指摘した際に、「あんたとしゃべってると頭が痛くなる」と言われました。険悪な雰囲気で別れたものの、その次の日には何もなかったかのようにニコニコはなしかけてきて若干恐怖を覚えました。当時は別の人がターゲットになっていたので、私と仲良くしたかったようです。

相手にダメージを与えるような行為を行うことにまったく抵抗がない人々です。うそをつくことにも抵抗がないので、ひどいうわさを流されるケースもあります。

 

じゃあどうするべきかというと、知人・友人関係であればとにかく反応せずフェードアウトするしかありません。

職場関係の場合は、褒めておけば機嫌がいいので、適当に褒めてあげるしかありません。ふーんとかへーとか言うのもありです。たまにすごいねーを混ぜてあげると機嫌がいいです。

書いてて子供のあやし方のようだなあ、と思いましたが、身の回りにいると精神的にとても疲れます。私も最終的に絶対に目を合わせないというかたちになりました。

人に嫌われることなんてどうでもいい話

ネットの炎上には2タイプある。

ひとつは商品にいたずらしたり犯罪(未遂)や差別的な意見をおおっぴらに書くような、他人に怒られて当たり前のことをしているタイプである。もうひとつは嫌われものがけちをつけられているタイプである。

 

前者は特になんとも思わない。そりゃあ、売り物に粗末な扱いをしたり詐欺的行為を働いたり差別発言を書き散らかせば、非難の声はでてくるだろう。

 

後者についてはただただ馬鹿馬鹿しく思う。たいていの場合、せいぜいがちょっとしたミスや過失程度で、ひどいときは何の落ち度もなく言いがかりをつけられたに過ぎない。某芸能人が子供に見た目の悪いご飯を作っていたとしても、一日3食バランスが良い食事を食べさせていれば何の問題もないだろう。

 

ネット上の炎上と書いたが、このようなことは実際のわれわれの生活のそばにもついて回る。

 

誰かのミスやひどさを示すエピソードは、誰しもが日常的に耳にしたり目にしたりしているだろう。そのような情報はすぐに拡散していく。飲み会での話し、会社での世間話、エトセトラ。

そして同様に、"嫌われ者"が非難されるシーンもしばしば眼にする。"嫌われ者"といっても、スケープゴートにされただけでなんの非もない人間(たとえばいじめられっこ)、あるいは目立つ人たち、たとえば美しい人、実力者、有名人、芸能人、スポーツ選手・・・、とさまざまだ。目立てば目立つほどその人を知る人が増え、その人を嫌う人が増える。たとえ嫌っている人の割合が少なくとも、嫌いな人に対してけちをつけるのが好きな人たちは、あふれるエネルギーでもって攻撃を加える。

 

では、われわれは目立つようなことを避けるべきだろうか*1。自身の意見を発表し矢面に立つことは、目立つとたたかれるから避けるべきことだろうか。そこに何かがあるのに、見知らぬ人間に嫌われるから、とあきらめるべきなんだろうか。

私はそうは思わない。

 

考えて見てほしい。炎上を見たとき、あなたは何を考えるだろうか。何の落ち度もないようなことでたたかれている人を見たとき、あなたは何を考えるだろうか。

たとえば、テロに加わったわけではないイスラム教徒に対して、「お前たちのせいだ」と言ったり、非難するようなメッセージを送る人たちに何を思うか。

答えは「くそくらえ」だろう。

だいたい、目に付いたから、目立っているから、気に食わないから、そんな理由でけちをつける人なんて無駄なことにエネルギーを費やすようなたいしたことがない人なのだから、相手にするだけ無駄ではないだろうか。

 

あなたの人生と、"見知らぬ誰かに嫌われること""何か言われること"とはかりにかけて、どちらが大事だろうか。

出るくいはたたかれるという言葉を 一度真剣に考えるべき問題ではないだろうか

*1:目立つために目立つことはやめておいたほうがいいとは思う

働く男性がバリキャリ相手にすら専業主婦を求める問題

バリキャリ相手にすら専業主婦を求める問題は、いつか書こうと思ってた問題のひとつだった。ちょうど研究者志望の方がバリキャリ志向の人が(2015/12/05 修正)以下の記事を書かれていたので、書こうと思う。
(なお、私は専業主婦を否定するつもりはありません)
 
5.言わずもがなだけど,女性が働くことを当たり前と考えているか(しかし,建前と本音が違うこともあるし,いきなりこの話題されても困るだろうから,じわじわ探る)
(中略)
それから5。重要でありかつ難しいのは,この「本音と建前は違うかもしれない」というところですね。そしてきわめて残念なことに,この「隠れ保守」「潜在的家父長」は,高学歴男性に割と多い印象である。彼らは高い教養を身につけているから,表向きにリベラルを「装う」ことの重要性は承知している。しかし付き合いが長くなるにつれ,彼らはその保守性を露わにし始める。私の友人たち(東大卒)がその元彼たち(東大卒)から言われた言葉の例はもう,口にするのも恐ろしくてここには書けないくらいだが,まあ要するに,「男と女なら,女が仕事をやめるのが当然」みたいなことを平然と言い出す。相手がいかなる「バリキャリ」と言われる部類の女性であろうともである。しかしながら,当然ながら知り合いたてや付き合い始めの時点においては,彼らはリベラルなフェミニストを装っているので,非常に見極めづらい。まあ,遅かれ早かれボロは出るので,そこは友人の言う通り,「じわじわ探る」しかないのだろう。そしてボロが出たら,迷わず切り捨てるしかないのだろう。もう30前後にもなって,人はそうそう変わるものではない。
 
 
これはとてもよくわかる。
毎日終電かタクシー帰宅の激務の人と付き合っていた友人が別れたときの話である。彼女らが家事について話しあったとき、「自分は激務だからできないけど、家の中に他人を入れたくない(家事代行サービスはいやだから、きみがやってね)」といわれたという話があった。
この問題の解決策は複数存在する。
  1. 専業・兼業主夫になる
  2. 専業・兼業主婦になる
  3. 彼側が転職する
  4. 家事代行サービスを頼む
  5. どちらかの父母など家族に頼む
  6. 彼女が家事を全部やる
 
5は、どちらも実家が遠くだったので、実現不可能だったそうだ。
彼女の中には、1・3・4の選択肢があり*1、彼女はバリキャリ系で仕事を続けたいタイプでありそのことを公言していたので、4を提案したが断られた。彼の中には2と6しかなかったからだ。つまり彼の中には彼自身が協力・譲歩する3・4の選択肢は一切なかった。
彼女は仕事をしつつ家事を押し付けられる未来はさすがに耐えられなかったようで、そのまま別れた。子供ができてもその男性が育児に協力的になるとは思えないし、男性側の意識が変わらなければ結婚してもやっていけないだろう。
この男性側の認識が判明したのは、付き合って1年以上がたった頃だったそうだ。彼女の行動を1年以上見ても、男性本人は仕事をあきらめて自分に尽くしてくれると思ってしまった、と言うのが大変不思議だった出来事だった。
 
自分が仕事をやめないことを決めるのは自由だが、相手に仕事をやめることを強要すること、相手にだけ問題解決を押し付けるのはとても身勝手なことだろう。
 
昨今の常識としては、女性側が仕事も家事も完璧にすることはとてもきついことだ、という認識があると思う。
ではなぜ高学歴の人々(あるいは男性)は、表向きリベラルを「装い」つつ、妻にそれを求めるのだろうか*2
保守的であるよりリベラルのほうが受けがいいので、それを「装う」こと自体はそうおかしなことにはうつらない。ではなぜ、妻にそれを"当たり前"のこととして求めるのだろうか。理由は精神的なものと金銭的なものがあるが、大きな問題として、夫が妻に対して大きな要求をしているのにそれに気がついていないという問題があると思う。
 
金銭的なもの 実現可能性
むしろ高学歴だから、相手に専業主婦を実現できてしまう現実がある。
高学歴だとだいたい高収入で、職場にいる人たち(普段接する人々)も同様に高収入だ。その中でも結婚している人々は、もちろんバリキャリや正社員の奥さんもいるが、奥さんが無収入でもまったく問題なく生活できるので奥さんが専業主婦だったり小遣い程度に稼いでいるパターンが少なくない。つまり、専業主婦を維持できてしまうのである。そのような人々はお互いに納得して専業主婦になったり仕事をやめたりしているので、それなりに仲良く良い家庭を築いている。お金があるがゆえに壁にぶつからず、旧来の価値観を相手に要求し、相手の要求も実現することができてしまうのだろう。
一方でお金がなければどうしようもないので、どちらかが専業主婦希望であっても選択の余地なく奥さんに働いてもらうことになることもある。"いまどきは共働きが主流だから"と、多少の摩擦はあれど共働きを続けていくことができるのだ。
 
専業主婦のイメージのよさ
上記のブログでも書いてあるように、専業主婦だと転勤などにも対応してくれるため、夫にとっては不安がない(あるいは都合が良い)。
そして、自身の親が専業主婦だったりすると、家族イメージが"いつも母親は家にいる""家事がちゃんとされていてきれいな家"のようなイメージなので、専業主婦のほうが言いと思っていたりする。その気持ちはわからなくもない。
 
精神的なもの 思考停止
一世代前だと、"夫が外で稼ぎ、妻が家の中を整える"が当たり前だった。
女性の社会進出は進んでいるものの、女性は今でもさまざまな壁にぶつかる。それは就職活動だったり職場環境だったりセクハラ、パワハラ、マタハラなど、多岐にわたる。今回のような、結婚したら職場をやめるかどうか、もそのひとつだ。女性側は来否ベントのたびに働くかどうかについて考えさせられたりするので、仕事を続けるかどうかは、大きなひとつの問題として働く女性には認識されている。(もちろん、仕事を続けたいと思わない女性や専業主婦志望の女性も存在する。私はその人たちを否定しない)
 
ところが、男性はそのような問題の当事者ではないことが多い*3
残念なことに、当事者でなければ問題について真剣に考えない人というのは存在する。さらに悪いことに、妻が働くかどうかという夫も当事者である問題が起こっても、自身は当事者ではないと考えてしまいおざなりな対応しかしない人も多い。つまり、男性は結婚する段になって始めて、女性が働くか(妻が仕事を続けるか)という問題あるいは現実とぶつかるのである。 個々の例を見ていると、これまでが順調だったからその後も順調と考えてしまって自分の要求が通ってしまうと考えてしまったらしき人や、それまでバリキャリと付き合ったことがなくて恋人の仕事に対する意識がわかっていない人、女性はみんな専業主婦になりたがっていると思い込んでいる人、自分が十分稼いでいるから働く必要はない*4と思い込んでいる人など、さまざまであった。
 
そして、件の友人の元恋人のように、「旧来の価値観通り、家事は女性の仕事であり、女性が仕事をやめてでも家事問題を解決するのが当たり前」という考えを改めない人間が一定数現れるのである*5
この手の人々は、働くかどうかは最終的に女性に決定権がある、ということを認識しておらず、バリキャリ女性からすると頓珍漢なことをいい、失望されてしまうことがある
 
簡単に言うと、それまで結婚後の"生活"イメージをまったく考えておらずもうとにかくイメージがふわっふわしていて、実際に結婚を考える段階になってはじめて自分の結婚後の生活をイメージして、それが将来の伴侶予定の人の考えとまったくもってずれている場合が、最悪なのである*6。真剣に考えてなかったツケがきてしまったといってもいい。
 
その他の要因 精神的なもの いわゆる承認欲求的なもの
世の中にはしっかりものの女性やかっこいい女性に惹かれる人がいる。そして、その中には自分に自信がない人がいる。そういう人は時々、人に頼られる俺・すごい彼女に頼られる俺になりたい願望を爆発させて、結婚の際に、バリキャリ系の女性に自分を立てたり自分を支えることを要求することがある。
要するに、このタイプは恋人を使って自信のなさを解消しようとしており、自分の心の穴を恋人を使って埋めようとしているのだ。そして、心に穴が開いているがゆえに、根本的に矛盾した気持ちを持っていることには気がつかない。
数は少ないもののこの手の人は存在し、次第に矛盾した願望を募らせていくのでどこかで終わるのだが、まずいことに最初はうまくいくのである。
 
しまいに
この問題は、一種のコミュニケーション不全あるいは人としてまずい案件だとおもう。
女性側は女性側で、結婚後・出産後の仕事について男性側にはっきりと伝えなければいけない。わかっているだろうと思って、適当に流していてはいけないのだ。もちろんこれは男性にも当てはまることで、相手に共働きか主婦か希望を伝える必要がある。これができていないのであれば、それはコミュニケーションの問題だ。
 
一方で、夫・妻側にはっきりとした希望がありそれを伝えたにもかかわらず、その希望をまともに取り合わず、「昔はこうだった、これが常識だ」として、自分の理想を押し付けてしまうケースは、人がマズイ案件だと思っている。自分にとってはとるにたらないことでも、相手にとっては重大なことはいくらでもあり、自分の要求が相手にとってどれだけ重いものなのか、理解するための歩みよりはとても重要だと思う。それを放棄してしまうような人間が相手では、結婚後に生じうるさまざまな問題を協力して乗り切ることは難しいだろう。特に女性のライフイベントにおける職業選択は、社会問題として認識された知名度の高い問題だと思うので、これで話し合いがろくにできない相手とはやめたほうがいいと思う。

*1:1は相手が望まないだろうからと言う理由で提案せず、3に関しては家事だけではなく健康被害を考えてのことだったことを一応記述しておく

*2:高学歴の人だけとは限らない

*3:特に結婚前はそうだろう。もちろんその問題を見聞きはするし、時には関係者にもなりうるのだが

*4:お金の問題ではないことを理解していないケース

*5:なかには、男性自身が持っていた偏見を認識し、何らかの解決が見られるケースもある

*6:これはもちろん男女逆のパターンでもおこりうるもので、男性が共働き希望で女性が専業主婦希望というケースもある。私が聞いたケースでは、男性がちゃんと希望を伝えていたにもかかわらず、女性が真剣に捕らえておらず駄目になった

ネット上で誰かを見つける

先日、あるブログにて匿名のアカウントから別のSNSアカウントを発見し、個人名までたどり着くと言う恐ろしいエントリがあげられていた。*1

 

相手がインターネットに無知で何の対策も取っていないと、ネットストーキングはとても簡単だ。私も昔思い付きで他人の意外なアカウントを見つけてしまったことがある。私は彼女に何もしなかったけど、その気になれば悪意を持ってさらして笑いものにすることだってできた。

stylo.hatenablog.com

 

私がインターネットに詳しく、自身で取れる対策をとっていたとしても、安全とは限らない*2

たとえば私がtwitterを匿名でやっていたとしても、私の友達が個人を特定可能な形でアカウントを運営していると、facebookなどのつながりを参照して私を発見することが可能だ。

さらに友人にインターネット・リテラシーがないと、だれそれといつどこに行くということまで一般公開していたりするので、下手をすると実際の私に会いに来ることができてしまう。

 

じゃあどうすべきだろうか。

結局のところ、匿名だろうと何だろうと目をつけられないようにまともなことのみを発信するしかないのだろう。にちゃんねるですら、個人情報流出が起こり有名人たちが自身の発言を晒されていた。あとは、facebookアカウントは成りすまされるまえにアカウントのみとっておくぐらいだろうか。

 

他人を誹謗中処しているアカウントが晒されても誰も同情しないが、まともな発言をしているアカウントがネットストーキングされれば、晒したほうが非難を受ける。そういう意味でもおかしな発言を撒き散らすのは避けたほうがいいだろう。

 

匿名の世界と言っても、結局は現実とは地続きだ。ガス抜きのためのインターネットで、現実がめちゃくちゃになるだなんて冗談ではないと思う。私も気をつけたい

*1:悪用が恐ろしいのでリンクは張りません

*2:実際のところ、雨が降った晴れたと言う情報だけでも、住んでいる大体の場所が割り出せてしまう。リアルタイムで情報公開する場合、SNSでは対策は難しい

勧善懲悪の話は読み物としては面白いけど、現実をよくするわけではない

togetterで「妻が夫のコレクションを捨ててひどいことになった話」が話題を集めていた。これを読んだときにとてももやもやしたので、なぜもやもやしたか考えていた。

togetter.com

 

 

もやもややその解釈は以下の記事でも語られている

kutabirehateko.hateblo.jp

topisyu.hatenablog.com

 

どちらもコミュニケーション問題の可能性を指摘している。

 

私がこれから書くことも、大体同じようなことを書くことになる。実際はコミュニケーション問題が合ったのにそれを無視していたのではないか、そしてネットの話を見て妻だけが悪いと頭から考えると、本当の問題が見えなくなるのではないか、ということだ。

 

妻が夫のコレクションを捨てる話は、まとめサイトでもよく扱われていて、そちらは目にしても、あーあ、と思う程度でもやもやしたことはなかった。

誰かが他人の持ち物を捨てる話は、妻が夫のものを捨てるだけではなく、たとえば義理の実家の人間(義母、義妹)などが妻のものを捨てるなども見られるので、誰かが誰かの持ち物を壊したり捨てたりしてしまうことそのものは、実のところそこそこあるのかもしれない。

 

結論を言うと、私はにちゃんねるのまとめとtogetterを無意識のうちに明確に区別していた。にちゃんねるまとめサイトを見るとき、私は勧善懲悪ものを見てすっきりしたり他人のうっかり話や天然話を見てなごんだりすることを目的としているので、多少書き込まれたはなしが不自然でもあまり違和感を感じないのだ。

一方でtogetterは、貧困やジェンダーなど社会問題を読むことが多いので、語られる内容が一方的であったり、かけている部分や矛盾があったりするととても気になる。

 

 

そのため、件のtogetterを読んで、

  • 仕事のための道具をその辺に放置するだろうか?
  • 報道されてもおかしくないと思うが、そんなニュースあっただろうか?
  • 奥さんと以前にコレクションのことでけんかしなかったのだろうか?
  • けんかしていたとしたら、歩みあいや譲歩はなかったんだろうか?
  • それまで人のものを捨てたりしなかったような奥さんが急にそういうことをしたのであれば、何かその原因があるのではないだろうか?

という疑問が解消されなかったのがもやもやの原因だった。

 

要するに、普通は、まずコレクションに関して何らかの衝突が起こってしまったが、その問題が解決されず少量が捨てられるという小さな問題が起こり、その後大きなものが捨てられる事件になりそうだが、どうして急に多くのものを捨てる暴挙に妻はいたったのか、と言う疑問が生まれたのである。普通はいきなり大量に捨てると言うステップを踏まないだろう。

もちろん妻との衝突を夫がまったく重要視していなかったパターンや*1、妻が何も言わずに不満を溜め込み急に爆発して発作的に捨てるパターンもありえるし、妻が急におかしくなったパターンも考えられるだろう。

少なくとも、以前の家庭内が良好(だと夫が思っていて)で急に捨てられたのであれば、どちらかが我慢していたりコミュニケーション不全だったりどこかにいびつな部分があって夫が気がついていなかったか、夫の行動とは無関係に妻に問題が浮上してきた、と言うことになる*2

 

もちろん、人の持ち物を捨てるのはしてはいけないことだが、その許されないことがおこったのは一体なぜか、一度は考えなければならないだろう。もちろん捨てた人の性格が異常に悪いと言う可能性や夫にまったく非がない可能性もある。だが、それまで相手がまともな人だったのであれば、何かボタンの掛け違いについて考えるべきなのだろう。

そのような問題がまだ起こっていなかったとしても、パートナーの不安や不満について思いをめぐらすことはお互いに悪いことではないだろう。

 

stylo.hatenablog.com

*1:妻に指摘されてもはいはいと聞き流すなど

*2:ストレスでの行動変化や、精神疾患などの可能性もある

恋人に何を求めるか

ある友人のことを思い出した。
その女性は大企業の正社員で、家事能力もばっちりのしっかりものだった。彼女は付き合う相手に顔も経済力も求めておらず、彼女に専業主婦を求めたりせず仕事を続けるのに協力的で話しがある程度合えばいい、と考えていて、実際そういう人と結婚した。
 
彼女があるとき付き合った人は、最初はうまくいっていたが、次第に相手が彼女をとにかく"助け"ようとして、彼女がいやになってしまって別れた。彼はしばしば"善意"から彼女を助けようとするのだが、実際は彼女は助けを求めておらず、むしろ彼女は最初は自分でどうにかしたいタイプだった。たとえば、彼女が転職活動を始めたとき、彼女は彼にアドバイスは求めなかったにもかかわらず、彼はなぜか彼女がまったく希望していない業界や徹夜が当たり前の条件が悪い業界を進めはじめた。どう考えても条件が会わず彼女は結局その業界を受けなかったが、彼からなぜ受けないのか非難されてしまい彼女にとっては散々なことになった。このように、しばしば彼は善意で彼女を助けようとして、彼女がまったく望んでいないことをしてしまい、彼が善意でそれをしていることがわかっているがゆえに彼女は怒れない、というサイクルに陥ってしまっていた。
 
最終的に、彼は彼女が転勤のある仕事であることを非難し、わかれることとなった。彼女は「私がゲームでいつも勝っちゃうのがいやだったそうです。みじめだって。ゲーム持ってくるのはいつも自分なのにね」、とあとで教えてくれた。
 
私はこの男性のことを、馬鹿じゃないかと長年思っていた。友人はしっかり者でいい結婚相手になるだろうと思えるような人だったからだ。そんなことで別れるなんて、馬鹿だと思った。*1
 
エントリを読んで彼もそうだったのかもしれないと思った*2
 
彼が選んだ相手がおんぶに抱っこを望む人間やこのエントリの義母さんのような人ならある意味でそれでよかったのだろうと思う。実のところ、彼自身は某有名企業で働いており、専業主夫の奥さんを養える程度の年収はあった。彼自身は、彼の望みの専業主婦で家に帰ったら癒してくれる奥さんを手に入れるだけの財力はあったのだ。
 
でも、彼女はそういう人になることに価値を見出す人ではなかった。彼女は自己主張をちゃんとして、男性にまじって仕事をするような人だった。他人を踏みつけにするような人ではなかったが、彼の望むような"男をたてる"という人でもなかった。
彼女が探していたのは、古い男尊女卑的な関係ではなくて、対等なパートナーとも言えるようなものだった。それは、彼が求めていたものとはまったく違うだろう。

 

彼は、誰かが自分を頼ってくれることでしかモチベーションを維持できない人だったのかもしれない。正直言って馬鹿は馬鹿だと思うけど、頼られるのがうれしいことはわかる。もちろんそれを強要したり一方的に期待するのは間違いで、友人は彼の被害者だと思う。

しかし、彼もまた被害者なのかもしれない。頼られる人間になるのは相当大変だと思うだけど、それを仮に社会に強制されているとしたら、なかなかのプレッシャーだ

 

stylo.hatenablog.com

stylo.hatenablog.com

*1:彼女のことを考えると大歓迎ですけど

*2:ちなみにこの男性は九州男児ではなく、首都圏の出身

「ずるい」という言葉を使いたくないし聞きたくない

「ずるい」という言葉を見たり聞いたりすると大変もやもやする。

先日外国人から、「日本人はビザがなくてもどこでもいけるから、なんというか、ずるい」といわれた。彼が言いたかったことは"うらやましい"といったほうが正しいと思うが、いずれにせよあまり気分がいいものではなかった。本当は彼は自国の政府の方針で複雑な手続きをしてビザを得なければいけないので、日本人ではなく政府が問題だとおもう。

 

私が「ずるい」という言葉に特別嫌なイメージを持つのは、過去にずるいといわれたことがあったからだ。学生だったころは受験勉強には強かったもののもっぱら家で勉強していたので飄々と点をとっているように見られてしまい、「なんであいつが」という趣旨のことを言われたことが何度かあった。

 

人が「ずるい」と思うとき、相手が卑怯な手を使っていたりえこひいきされていることがほとんどだろう。ところが、何も"ずるい"ことがなくても、ただ自分以外の誰かが良い結果を得ているというだけで「ずるい」と思う人が世の中にはいる。思うだけならいいのだが相手に直接ぶつける人間もいる。ぶつけられるほうはいい迷惑だ。

 

「ずるい」と思ってしまう人には、何タイプかあるようだ。

一つ目は、最初から覆すのが難しい差がある場合だ。それは貧富の差かもしれないし、家庭環境かもしれないし、才能かもしれない。本当にうらむべきはそれをもたらしているもの、つまり国だったり周囲の人間だったりするが、それを直視できずほかの何かをスケープゴートとしてずるいといってしまうこともある。そのような場合は手でも頭でもとにかく動かすしかない。自分ではどうにかできない差なのだから、ボーっとしているうちに差が広がらないように努力するしかない。頭や体を動かすことでそんな気持ちも忘れられるだろう。

 

二つ目は"幼い"人だ。他人がたまたま幸運にも何かいいものを手に入れたときや、人に見えないところで努力して手に入れたものでも「ずるい」という。

そういう人たちは、まだまだ若いか、余裕がないか、相手の見えない努力がわからない程度に幼いかのどれかだ。若いだけならいいのだけれど、他人の努力が想像できない人は少しまずいと思う。そのような人は、努力の結果何かが改善しうるということがわかっておらず、自分の苦境を改善するための自発的な努力ができないからだ。努力しなければ自信の能力は上がらず、「ずるい」と思う気持ちは膨らむばかりだ。

 

いわれなき「ずるい」をぶつけられて思ったことだけど、ずるいという暇があれば手でも頭でも何でも動かしたほうがいい。何もしない人間は何も得られないし、他人を見ているだけでは何も解決しない。

結局のところ、不満は一時しのぎであって、根本的解決にはならないのだ。