自分が大好きな人たちと認知のゆがみ
人間たいていの人は話し合えば分かり合えるとはいいますが、認知がゆがんでいる場合はできません。認知のゆがみという相手の根本的問題を解決する必要が出てくるからです。そして、往々にして認知のゆがみは解決できません。
私は昔。自己愛性症候群らしき人と遭遇したことがあります。
自分の実力を信じて疑わず、それゆえに周囲の認識が狂っている人たちです。すべての情報が、自分はすごいフィルターを通しているので、何があっても自分は正しいという前提が崩れません。
彼女はいつも自慢話をしていて、最初は「すごい」と周りに言われるものの、次第に実力が露呈していき、「あの人はちょっとうそつきだよね」と言われていました。たとえばマラソンが得意だと言っていたのにマラソン大会では真ん中ぐらいの順位だったり、自分は頭がいいと言っていたのにいくつも赤点をとって部活ができなくなったり、つまらないことと言えばつまらないことなんですが、そういうことを繰り返して信用を失っていきました。
また、他人とのトラブルが多く、自分が悪いケースでも相手を悪く言うので、次第に人が離れていきました。1・2度なら相手が悪いと言う主張が通ることもあるものの、何度も繰り返すと周りもだんだん、アレおかしいぞ?となって行きます。たとえば、部活のレベルが低くて物足りないからやめた、と言っていたのに、実は赤点を取りすぎたために部活停止処分になったことがあきらかになりました。黙っていれば赤点とは周りにはわからなかったのに、部活の悪口を部長の前で何度も繰り返し言ったので部長とけんかになり、話しが広がったそうです。
悪口が愚痴が多く、本当とうそを取り混ぜた話をして、気に入らない人間の評判を下げるようなことをいう傾向があります。
彼女の場合は、彼女が社交的に見えたのはに積極的に話しかけないと孤立するからでした。彼女といたときに偶然会った彼女の友達たちはみな携帯をいじって生返事したり彼女の目を見ない、を徹底していました。最初は変な人たちだと思っていましたが、友達と思っていたのは彼女だけだった、と言うのが真相でした。
正直に言って、大なり小なりこういう人たちはいます。自分のことをすばらしいと手放しで考えているので、自分を"攻撃"してくる人には容赦がなく、悪口陰口嫌がらせを行ってきます。
実力がない証拠があったとしても(マラソン大会の順位、体力テストの数値、定期テストや実力テストの点数など)、すべて捻じ曲げられ、自分ではなく周りが悪い、と言う結論になります。
話し合いが通じない人々なので、絶対にターゲットになってはいけないです。うそをつくことに抵抗がないため、風評被害が発生する恐れがあります。職場の人だったりすると精神をやられかねません。
戦おうとして、事実を述べても以下のようなことになります。
自己愛モテ女子に事実を述べるとウンコを投げつけられる
私の場合は戦うつもりも何もなく彼女の覚え違いを指摘した際に、「あんたとしゃべってると頭が痛くなる」と言われました。険悪な雰囲気で別れたものの、その次の日には何もなかったかのようにニコニコはなしかけてきて若干恐怖を覚えました。当時は別の人がターゲットになっていたので、私と仲良くしたかったようです。
相手にダメージを与えるような行為を行うことにまったく抵抗がない人々です。うそをつくことにも抵抗がないので、ひどいうわさを流されるケースもあります。
じゃあどうするべきかというと、知人・友人関係であればとにかく反応せずフェードアウトするしかありません。
職場関係の場合は、褒めておけば機嫌がいいので、適当に褒めてあげるしかありません。ふーんとかへーとか言うのもありです。たまにすごいねーを混ぜてあげると機嫌がいいです。
書いてて子供のあやし方のようだなあ、と思いましたが、身の回りにいると精神的にとても疲れます。私も最終的に絶対に目を合わせないというかたちになりました。
人に嫌われることなんてどうでもいい話
ネットの炎上には2タイプある。
ひとつは商品にいたずらしたり犯罪(未遂)や差別的な意見をおおっぴらに書くような、他人に怒られて当たり前のことをしているタイプである。もうひとつは嫌われものがけちをつけられているタイプである。
前者は特になんとも思わない。そりゃあ、売り物に粗末な扱いをしたり詐欺的行為を働いたり差別発言を書き散らかせば、非難の声はでてくるだろう。
後者についてはただただ馬鹿馬鹿しく思う。たいていの場合、せいぜいがちょっとしたミスや過失程度で、ひどいときは何の落ち度もなく言いがかりをつけられたに過ぎない。某芸能人が子供に見た目の悪いご飯を作っていたとしても、一日3食バランスが良い食事を食べさせていれば何の問題もないだろう。
ネット上の炎上と書いたが、このようなことは実際のわれわれの生活のそばにもついて回る。
誰かのミスやひどさを示すエピソードは、誰しもが日常的に耳にしたり目にしたりしているだろう。そのような情報はすぐに拡散していく。飲み会での話し、会社での世間話、エトセトラ。
そして同様に、"嫌われ者"が非難されるシーンもしばしば眼にする。"嫌われ者"といっても、スケープゴートにされただけでなんの非もない人間(たとえばいじめられっこ)、あるいは目立つ人たち、たとえば美しい人、実力者、有名人、芸能人、スポーツ選手・・・、とさまざまだ。目立てば目立つほどその人を知る人が増え、その人を嫌う人が増える。たとえ嫌っている人の割合が少なくとも、嫌いな人に対してけちをつけるのが好きな人たちは、あふれるエネルギーでもって攻撃を加える。
では、われわれは目立つようなことを避けるべきだろうか*1。自身の意見を発表し矢面に立つことは、目立つとたたかれるから避けるべきことだろうか。そこに何かがあるのに、見知らぬ人間に嫌われるから、とあきらめるべきなんだろうか。
私はそうは思わない。
考えて見てほしい。炎上を見たとき、あなたは何を考えるだろうか。何の落ち度もないようなことでたたかれている人を見たとき、あなたは何を考えるだろうか。
たとえば、テロに加わったわけではないイスラム教徒に対して、「お前たちのせいだ」と言ったり、非難するようなメッセージを送る人たちに何を思うか。
答えは「くそくらえ」だろう。
だいたい、目に付いたから、目立っているから、気に食わないから、そんな理由でけちをつける人なんて無駄なことにエネルギーを費やすようなたいしたことがない人なのだから、相手にするだけ無駄ではないだろうか。
あなたの人生と、"見知らぬ誰かに嫌われること""何か言われること"とはかりにかけて、どちらが大事だろうか。
出るくいはたたかれるという言葉を 一度真剣に考えるべき問題ではないだろうか
*1:目立つために目立つことはやめておいたほうがいいとは思う
働く男性がバリキャリ相手にすら専業主婦を求める問題
5.言わずもがなだけど,女性が働くことを当たり前と考えているか(しかし,建前と本音が違うこともあるし,いきなりこの話題されても困るだろうから,じわじわ探る)(中略)それから5。重要でありかつ難しいのは,この「本音と建前は違うかもしれない」というところですね。そしてきわめて残念なことに,この「隠れ保守」「潜在的家父長」は,高学歴男性に割と多い印象である。彼らは高い教養を身につけているから,表向きにリベラルを「装う」ことの重要性は承知している。しかし付き合いが長くなるにつれ,彼らはその保守性を露わにし始める。私の友人たち(東大卒)がその元彼たち(東大卒)から言われた言葉の例はもう,口にするのも恐ろしくてここには書けないくらいだが,まあ要するに,「男と女なら,女が仕事をやめるのが当然」みたいなことを平然と言い出す。相手がいかなる「バリキャリ」と言われる部類の女性であろうともである。しかしながら,当然ながら知り合いたてや付き合い始めの時点においては,彼らはリベラルなフェミニストを装っているので,非常に見極めづらい。まあ,遅かれ早かれボロは出るので,そこは友人の言う通り,「じわじわ探る」しかないのだろう。そしてボロが出たら,迷わず切り捨てるしかないのだろう。もう30前後にもなって,人はそうそう変わるものではない。
- 専業・兼業主夫になる
- 専業・兼業主婦になる
- 彼側が転職する
- 家事代行サービスを頼む
- どちらかの父母など家族に頼む
- 彼女が家事を全部やる
*1:1は相手が望まないだろうからと言う理由で提案せず、3に関しては家事だけではなく健康被害を考えてのことだったことを一応記述しておく
*2:高学歴の人だけとは限らない
*3:特に結婚前はそうだろう。もちろんその問題を見聞きはするし、時には関係者にもなりうるのだが
*4:お金の問題ではないことを理解していないケース
*5:なかには、男性自身が持っていた偏見を認識し、何らかの解決が見られるケースもある
*6:これはもちろん男女逆のパターンでもおこりうるもので、男性が共働き希望で女性が専業主婦希望というケースもある。私が聞いたケースでは、男性がちゃんと希望を伝えていたにもかかわらず、女性が真剣に捕らえておらず駄目になった
ネット上で誰かを見つける
先日、あるブログにて匿名のアカウントから別のSNSアカウントを発見し、個人名までたどり着くと言う恐ろしいエントリがあげられていた。*1
相手がインターネットに無知で何の対策も取っていないと、ネットストーキングはとても簡単だ。私も昔思い付きで他人の意外なアカウントを見つけてしまったことがある。私は彼女に何もしなかったけど、その気になれば悪意を持ってさらして笑いものにすることだってできた。
私がインターネットに詳しく、自身で取れる対策をとっていたとしても、安全とは限らない*2。
たとえば私がtwitterを匿名でやっていたとしても、私の友達が個人を特定可能な形でアカウントを運営していると、facebookなどのつながりを参照して私を発見することが可能だ。
さらに友人にインターネット・リテラシーがないと、だれそれといつどこに行くということまで一般公開していたりするので、下手をすると実際の私に会いに来ることができてしまう。
じゃあどうすべきだろうか。
結局のところ、匿名だろうと何だろうと目をつけられないようにまともなことのみを発信するしかないのだろう。にちゃんねるですら、個人情報流出が起こり有名人たちが自身の発言を晒されていた。あとは、facebookアカウントは成りすまされるまえにアカウントのみとっておくぐらいだろうか。
他人を誹謗中処しているアカウントが晒されても誰も同情しないが、まともな発言をしているアカウントがネットストーキングされれば、晒したほうが非難を受ける。そういう意味でもおかしな発言を撒き散らすのは避けたほうがいいだろう。
匿名の世界と言っても、結局は現実とは地続きだ。ガス抜きのためのインターネットで、現実がめちゃくちゃになるだなんて冗談ではないと思う。私も気をつけたい
勧善懲悪の話は読み物としては面白いけど、現実をよくするわけではない
togetterで「妻が夫のコレクションを捨ててひどいことになった話」が話題を集めていた。これを読んだときにとてももやもやしたので、なぜもやもやしたか考えていた。
もやもややその解釈は以下の記事でも語られている
どちらもコミュニケーション問題の可能性を指摘している。
私がこれから書くことも、大体同じようなことを書くことになる。実際はコミュニケーション問題が合ったのにそれを無視していたのではないか、そしてネットの話を見て妻だけが悪いと頭から考えると、本当の問題が見えなくなるのではないか、ということだ。
妻が夫のコレクションを捨てる話は、まとめサイトでもよく扱われていて、そちらは目にしても、あーあ、と思う程度でもやもやしたことはなかった。
誰かが他人の持ち物を捨てる話は、妻が夫のものを捨てるだけではなく、たとえば義理の実家の人間(義母、義妹)などが妻のものを捨てるなども見られるので、誰かが誰かの持ち物を壊したり捨てたりしてしまうことそのものは、実のところそこそこあるのかもしれない。
結論を言うと、私はにちゃんねるのまとめとtogetterを無意識のうちに明確に区別していた。にちゃんねるまとめサイトを見るとき、私は勧善懲悪ものを見てすっきりしたり他人のうっかり話や天然話を見てなごんだりすることを目的としているので、多少書き込まれたはなしが不自然でもあまり違和感を感じないのだ。
一方でtogetterは、貧困やジェンダーなど社会問題を読むことが多いので、語られる内容が一方的であったり、かけている部分や矛盾があったりするととても気になる。
そのため、件のtogetterを読んで、
- 仕事のための道具をその辺に放置するだろうか?
- 報道されてもおかしくないと思うが、そんなニュースあっただろうか?
- 奥さんと以前にコレクションのことでけんかしなかったのだろうか?
- けんかしていたとしたら、歩みあいや譲歩はなかったんだろうか?
- それまで人のものを捨てたりしなかったような奥さんが急にそういうことをしたのであれば、何かその原因があるのではないだろうか?
という疑問が解消されなかったのがもやもやの原因だった。
要するに、普通は、まずコレクションに関して何らかの衝突が起こってしまったが、その問題が解決されず少量が捨てられるという小さな問題が起こり、その後大きなものが捨てられる事件になりそうだが、どうして急に多くのものを捨てる暴挙に妻はいたったのか、と言う疑問が生まれたのである。普通はいきなり大量に捨てると言うステップを踏まないだろう。
もちろん妻との衝突を夫がまったく重要視していなかったパターンや*1、妻が何も言わずに不満を溜め込み急に爆発して発作的に捨てるパターンもありえるし、妻が急におかしくなったパターンも考えられるだろう。
少なくとも、以前の家庭内が良好(だと夫が思っていて)で急に捨てられたのであれば、どちらかが我慢していたりコミュニケーション不全だったりどこかにいびつな部分があって夫が気がついていなかったか、夫の行動とは無関係に妻に問題が浮上してきた、と言うことになる*2。
もちろん、人の持ち物を捨てるのはしてはいけないことだが、その許されないことがおこったのは一体なぜか、一度は考えなければならないだろう。もちろん捨てた人の性格が異常に悪いと言う可能性や夫にまったく非がない可能性もある。だが、それまで相手がまともな人だったのであれば、何かボタンの掛け違いについて考えるべきなのだろう。
そのような問題がまだ起こっていなかったとしても、パートナーの不安や不満について思いをめぐらすことはお互いに悪いことではないだろう。
恋人に何を求めるか
彼は、誰かが自分を頼ってくれることでしかモチベーションを維持できない人だったのかもしれない。正直言って馬鹿は馬鹿だと思うけど、頼られるのがうれしいことはわかる。もちろんそれを強要したり一方的に期待するのは間違いで、友人は彼の被害者だと思う。
しかし、彼もまた被害者なのかもしれない。頼られる人間になるのは相当大変だと思うだけど、それを仮に社会に強制されているとしたら、なかなかのプレッシャーだ
「ずるい」という言葉を使いたくないし聞きたくない
「ずるい」という言葉を見たり聞いたりすると大変もやもやする。
先日外国人から、「日本人はビザがなくてもどこでもいけるから、なんというか、ずるい」といわれた。彼が言いたかったことは"うらやましい"といったほうが正しいと思うが、いずれにせよあまり気分がいいものではなかった。本当は彼は自国の政府の方針で複雑な手続きをしてビザを得なければいけないので、日本人ではなく政府が問題だとおもう。
私が「ずるい」という言葉に特別嫌なイメージを持つのは、過去にずるいといわれたことがあったからだ。学生だったころは受験勉強には強かったもののもっぱら家で勉強していたので飄々と点をとっているように見られてしまい、「なんであいつが」という趣旨のことを言われたことが何度かあった。
人が「ずるい」と思うとき、相手が卑怯な手を使っていたりえこひいきされていることがほとんどだろう。ところが、何も"ずるい"ことがなくても、ただ自分以外の誰かが良い結果を得ているというだけで「ずるい」と思う人が世の中にはいる。思うだけならいいのだが相手に直接ぶつける人間もいる。ぶつけられるほうはいい迷惑だ。
「ずるい」と思ってしまう人には、何タイプかあるようだ。
一つ目は、最初から覆すのが難しい差がある場合だ。それは貧富の差かもしれないし、家庭環境かもしれないし、才能かもしれない。本当にうらむべきはそれをもたらしているもの、つまり国だったり周囲の人間だったりするが、それを直視できずほかの何かをスケープゴートとしてずるいといってしまうこともある。そのような場合は手でも頭でもとにかく動かすしかない。自分ではどうにかできない差なのだから、ボーっとしているうちに差が広がらないように努力するしかない。頭や体を動かすことでそんな気持ちも忘れられるだろう。
二つ目は"幼い"人だ。他人がたまたま幸運にも何かいいものを手に入れたときや、人に見えないところで努力して手に入れたものでも「ずるい」という。
そういう人たちは、まだまだ若いか、余裕がないか、相手の見えない努力がわからない程度に幼いかのどれかだ。若いだけならいいのだけれど、他人の努力が想像できない人は少しまずいと思う。そのような人は、努力の結果何かが改善しうるということがわかっておらず、自分の苦境を改善するための自発的な努力ができないからだ。努力しなければ自信の能力は上がらず、「ずるい」と思う気持ちは膨らむばかりだ。
いわれなき「ずるい」をぶつけられて思ったことだけど、ずるいという暇があれば手でも頭でも何でも動かしたほうがいい。何もしない人間は何も得られないし、他人を見ているだけでは何も解決しない。
結局のところ、不満は一時しのぎであって、根本的解決にはならないのだ。