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人に嫌われることなんてどうでもいい話

ネットの炎上には2タイプある。

ひとつは商品にいたずらしたり犯罪(未遂)や差別的な意見をおおっぴらに書くような、他人に怒られて当たり前のことをしているタイプである。もうひとつは嫌われものがけちをつけられているタイプである。

 

前者は特になんとも思わない。そりゃあ、売り物に粗末な扱いをしたり詐欺的行為を働いたり差別発言を書き散らかせば、非難の声はでてくるだろう。

 

後者についてはただただ馬鹿馬鹿しく思う。たいていの場合、せいぜいがちょっとしたミスや過失程度で、ひどいときは何の落ち度もなく言いがかりをつけられたに過ぎない。某芸能人が子供に見た目の悪いご飯を作っていたとしても、一日3食バランスが良い食事を食べさせていれば何の問題もないだろう。

 

ネット上の炎上と書いたが、このようなことは実際のわれわれの生活のそばにもついて回る。

 

誰かのミスやひどさを示すエピソードは、誰しもが日常的に耳にしたり目にしたりしているだろう。そのような情報はすぐに拡散していく。飲み会での話し、会社での世間話、エトセトラ。

そして同様に、"嫌われ者"が非難されるシーンもしばしば眼にする。"嫌われ者"といっても、スケープゴートにされただけでなんの非もない人間(たとえばいじめられっこ)、あるいは目立つ人たち、たとえば美しい人、実力者、有名人、芸能人、スポーツ選手・・・、とさまざまだ。目立てば目立つほどその人を知る人が増え、その人を嫌う人が増える。たとえ嫌っている人の割合が少なくとも、嫌いな人に対してけちをつけるのが好きな人たちは、あふれるエネルギーでもって攻撃を加える。

 

では、われわれは目立つようなことを避けるべきだろうか*1。自身の意見を発表し矢面に立つことは、目立つとたたかれるから避けるべきことだろうか。そこに何かがあるのに、見知らぬ人間に嫌われるから、とあきらめるべきなんだろうか。

私はそうは思わない。

 

考えて見てほしい。炎上を見たとき、あなたは何を考えるだろうか。何の落ち度もないようなことでたたかれている人を見たとき、あなたは何を考えるだろうか。

たとえば、テロに加わったわけではないイスラム教徒に対して、「お前たちのせいだ」と言ったり、非難するようなメッセージを送る人たちに何を思うか。

答えは「くそくらえ」だろう。

だいたい、目に付いたから、目立っているから、気に食わないから、そんな理由でけちをつける人なんて無駄なことにエネルギーを費やすようなたいしたことがない人なのだから、相手にするだけ無駄ではないだろうか。

 

あなたの人生と、"見知らぬ誰かに嫌われること""何か言われること"とはかりにかけて、どちらが大事だろうか。

出るくいはたたかれるという言葉を 一度真剣に考えるべき問題ではないだろうか

*1:目立つために目立つことはやめておいたほうがいいとは思う