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もっとフランクに障害の話ができたら、どうなるんだろうか

もっとフランクに障害の話ができたら、どうなるんだろうか、と思うことがある。

 

生きていると時々変わった人に出会う。中には、変わっているというレベルではなく、実は障害がある人もいる。

障害があるということは、特定の行為がそもそもできなかったり著しく能力が低いということで、型どおりの対応では問題が解決しないことも多い。

 

たとえば、アスペルガー症候群のひとであれば、このようなアドバイスがあった。

アスペルガー症候群を持つ成人に必要な職場での支援は、スケジュールや手順を明示する、指示代名詞を使わない、複数のことを同時に頼まない、ジョブコーチをつけるなどである」*1

知らなければなかなかこういう風にしよう、とはならないと思う。

 

個人的に思っていることなのだけど、障害があるから問題だという方向ではなくて、

障害があるからこういう対応をしたほうが効果的、という方向になれないんだろうか、と思う

 

もうずいぶん昔のことになるが、仕事で「おかしな人」とかかわったことがある。

 

私がその人を何かおかしいと思ったのは、いくつかの原因があった。相手の気持ちがわからないらしく、しつこく誘って嫌われたり、飲み会でずれたことを言ったり、変な行動が時々見られた。

ただいつもは親切な人で、困っている人がいれば助け、子供の面倒も良く見る、悪意がないひとだった。「悪い人じゃないんだけど」というタイプの人だ。

本当にいい人だったと思う。でも、時々話が通じなくて、怖く思ったり、不思議に思うことがあった。なんというか、ものすごくアンバランスな人だった。

 

ちゃんと話が通じていないことが何度かあってから、何かおかしい、でも、悪意があるわけでなく、むしろそれ以外のところではいい人だった。

 

あるときから、もしかして何かの障害か病名がつくようなものじゃないのかな、という気持ちがあったが、私はプロではないから不用意にそんなことを言うべきではないこと、差別主義者と思われたくないことから、それを口にすることはできなかった。

 

いろいろなことがあってとどめとなる出来事があり、私が上司に直談判し、私はその人とかかわらなくていいことになった。実は私以外にも苦情が過去に何度かあり、問題はあったらしい。注意するとそのときは深く反省して指摘されたことをやめるのだが、しばらくするとまたはじめるの繰り返しで、上司も困っていたのだそうだ。

でも本人には悪意がなく、反省しているときもポーズでなく真剣に反省しているようだ、ということだった。私もその人とかかわっていたときに、そのアンバランスさが不思議でたまらなかった。 

 

しばらくして、同僚とも「あの人何かおかしいよね」という認識を共有するようになった。

なかでも、ある同僚とは、「あの人の頭がおかしいから障害じゃないかといいたいわけではなく、何が原因なのかわかればもうちょっといい対処ができるかもしれないし、問題行為をやめてもらうこともできるかもしれない。でも、障害じゃないか、というと差別の問題になって口に出せない」というもどかしい結論に数日かけて至った。

 

そことの仕事は終わったのでその人が今どうしているかはわからない。でもいまでももしかしたら何かもっといい方法はあったのかもしれないと思う。

 

実際は、フランクに障害の話ができたとしても、誤解は残り、障害を持っている人たちが損をするケースが多発するのだろうと思う。医者でもないのに、あの人は○○なのでは、とか現実で言ってしまうのかもしれない。

 そういうことを考えると、フランクに話せてしまうと碌でもないことになってしまうという結論になってしまう。

一方で、フランクに話せたらちょっとこの子はおかしいと幼少期に思ったら躊躇なく診断にいけて、何かが見つかったらその子に会った教育を受けられて、その親子はいろいろと助かるかもしれない。これは理想論に過ぎないのだけど。

 

その頃私はたぶんもういないけど、百年先ぐらいには、状況が変わっていたらいいなあと思う。