シリーズものの広告をわれわれは最期まで見て判断しなければならないか?

 「シリーズものの広告をわれわれは最期まで見て判断しなければならないか?」を、広告が炎上するたびに考える。

 結論としては、消費者には広告の続きを見る義務はないし、企業側にも悪影響しかないのでシリーズものを単独で発表する場合は、差別表現は避けたほうがいい。

togetter.com

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 (一つ目は、ルミネCMが女性差別的だと非難をうけたときのまとめ。ふたつめは人工知能学会の表紙がどのような点で女性蔑視かの解説)

 

広告の意味には、ターゲットとしている人々に刺さる、ブランドイメージをあげるなどいろいろな目的があると思うが、中には明らかにその対象にその広告は駄目だろうと言う広告がある。上の二つが代表的な例だ。ルミネCMも人工知能学会の表紙もシリーズものとして製作されたが、一番最初のものは女性差別的だと非難ごうごうだった。ミネは途中で打ち切りなのでその後の展開は不明なため、その後の展開はわからないがこれまでを考えると、ルミネのCMはどんでん返しが合ったのだろうと思う。一方で人工知能学会は継続しており最初の女性蔑視イメージは薄れつつある*1

 

では、これらの宣伝はそのまま継続すべきだったのだろうか?

 

私はあまりそう思えない。なぜなら、どちらも女性蔑視を含みうる内容だったからだ。商品そのものが女性蔑視を含むのであれば、それを買わない選択肢があるが、宣伝広告を見て不快にさせられるのは耐えられない。CMは見る側がお金を出してCMそのものを買っているわけではないが、商品を買わないあるいはCMにかかわる商品や企業のブランドイメージを下げうる。学術誌は内容を必要としているから買うので、表紙が気に食わないから買わないと言う選択肢はとることができないが、不快感は残る。そのCMが実は良い作品だとしても、全体の一部とはいえ不快感の残るCMを放送している限り、そのCMを見たときの不快感は解消されない。消費者としては不快な広告には消えてほしいとは思う。そして、企業にしてもそのような利益に悪影響を出しうるCMの継続は望ましくないだろう。せっかくお金をかけてだすものなのだから、いい影響を残したいだろう。

 

そんなわけで、シリーズものCMの不快感は誰も幸せにしない。広告を最後までチェックするほど人々は優しくないのだ

*1:それにしたって、一冊目のイラストは女性蔑視を思い起こさせるイメージが多く含まれているが