パクリ騒動を見て思ったことと化粧について
私は素人なので、どこからどこまでがパクリ、オマージュ、インスパイア、ただの偶然なのか判定する方法はわからない。だからこの件がパクリかどうかの意見は書かない。
書くのは、問題が起こったら出版社に丸投げが作家にとって最適なのではないかと、化粧についてだ。
問題が起こったら出版社に丸投げが作家にとって最適なのではないか
これはもうそのままだ。こじれたりこじれそうだったら、個人間でも弁護士など代理人を立てて交渉することはある。著作権関係は法知識や交渉スキルが必要とされるので、著者自身がでてくるよりも専門部署も持つ出版社が行うほうがスムーズにことはすすむだろう。
化粧について
時々人の中身はどこまで中身か考えることがある。そのきっかけはたぶん化粧を始めたことにある。
化粧をする前は、化粧しないとコンビニにいけないとか、化粧しないのは女失格と言う気持ちがまったくわからなかった。
化粧をしてはじめてわかったことだが、化粧した顔を見慣れると化粧前の顔ではなく化粧後の顔が自分の顔のような錯覚に陥る。社会人になると毎日化粧することになるので、化粧した顔が当たり前のものになるのだ。これがすすむとコンビニにすっぴんにいけなくなるのだな、当時は思った。
このようにして、化粧のスキルが高いことはいいことだとみなされ、化粧のスキルがあがってよりかわいい・きれいになると、化粧後の顔のみならず自分自身がかわいい・きれいになったことになる。
自分を魅力的な人に魅せる技術をその人の能力だと考えれば、化粧後の顔はその人の顔と言っても差し支えないのかもしれない。ファッションセンスがその人の魅力のひとつと考えるのと同じことだ。
今回リンク先で取り上げられた4コマ2本は、どこまでを人の中身と捕らえるかの解釈が異なるのだな、と思った。
リンク先からわかることしか書いてはいませんが、一応ネタバレになるのでここからは続きを読む、にします。
今日のゲイバーの「褒めあい」では、マスター?が「本体は一切ほめていない」と言っているので、マスターは化粧など外見が中身やその人の能力であるとみなしていないことがわかる。
その一方で、アラサーちゃんの「他人の幸せの色は青い」では、前半では男性が「本体は一切ほめていない」と指摘しているが、すっぴんをほめられた女性はうれしくないと言っている。
おそらく、すっぴんをほめられた女性にとっては、化粧や小物選びのセンスは彼女にとって誇らしいものだったが、それを知らずに男はすっぴん(だけ)をほめるている。これは、彼女の化粧のスキルを無駄だと言っているに等しい。
埋められない感覚の差が垣間見られてとても面白かった。