なぜ欠損女子バーの記事にもやもやするか(私はもやもやしてない。念のため)

欠損女子バーという記事を見てとても驚いた。

wotopi.jp

 

本当にそれがフェチの人がいるんだなということと、これが成立するほど欠損や義足・義手のフェチの人がいるということにびっくりしたのだ。

それが気がつけばはてブがうなぎ上りになり、コメントに否定意見も現れて驚いた。

 

なぜこの記事にはもやもやしてしまうのか、否定意見が多くでるのか

おそらく多くの人はこの話を"社会問題"として読んでいるが、この記事の本質はとても個人的なストーリーで、本人たちにとっては社会問題の話ではないことが理由だろう。

この記事を要約すると、「自分たちは欠損が悪いことだと思ってたけど、それがいいといってくれる人もいた。自分はこれでいいんだ。それで、いまはこれをいかしてお店やってる」それだけだ。

長身を気にしている女性に言い換えれば、「私は長身で女らしくないと思っていたけど、友達がモデルみたい!といってくれてそういう見方もあるんだと思って気にならなくなった。長身女子バー開いた」というはなしだ。

つまり、自分の"何か"に関して自信がなかった人が、短所が長所になりうることを知って自信を取り戻した、という記事なのだ。

 

ところがこのニュースを読む多くの人たちは、個人の話ではなく障害の話に読めてしまう。障碍者でなければあまり当事者意識は生まれないと思うのでそれは自然なことだと思うが、そのために話がこんがらがっている。

 

もやもやと否定コメントにも種類がある

否定のコメントには2種類ある。
個人に対する非難と、障害を性的魅力とすることへの危惧だ。
 
個人に対する非難とは、つまり「それを売りにするな」、「普通に生きろ」という意見だ。
このような、彼女ら個人に対する非難は不当なものだと私は思う。
個人が何を考えようがどのように行動しようが本人たちの自由だ。
もし彼女らがそこしか働く場所がないとか脅されて障害を売りにしているとか望まずにそこで働いているんだったらそれは問題だと思うが、この場合は本人たちが好きでやっててるうえに別に誰かに迷惑をかけているわけではないから何の問題もないと思う。 

障害を性的魅力とすることへの危惧

この記事の中では、自分の欠損を性的対象にされることを許容している表現がある。

 正直に『いやらしい目で見てもいいですか?』と聞かれたこともありますよ。でも、ひとつの萌え要素としてそう思ってくれているんだから、全然平気。何をそういう目で見るかは個人の自由ですし。そもそも、欠損している私を認めてくださっていること自体が、嬉しいんです」

自分の障害を性的対象にされたくない障碍者にとってはこの記事は不快なものになる可能性があるだろうし、ある特定の集団がまとめて性的対象とされうるのではないか、という意味では障害の有無に係らず読者が不安を感じてもおかしくないと思う。
あと、この記事を読んだ人が、ほかの欠損女子に「こういうのがある!君たちも自信を持て!」と望まない人に対して押し付け始めたら怖いなあとも思う。
 
たとえば、巨乳の女性が巨乳バーを開き、「私は巨乳を性的対象にされてもいいです」といったとすると、「私は巨乳だけど、性的対象に見られたくない」という意見がでてもおかしくはないだろう。「巨乳を嫌がる必要はない。こういう人もいる!」、「巨乳を性的対象として見て喜ぶ人もいる。俺がお前をそう見て何が悪い」という人も(少ないだろうけど)いるかもしれない。
 
 
この辺がこの記事にもやもやしてしまう理由だと思う。
もやもやしてしまう人は、彼女らの生き方は彼女らの自由だから非難の気持ちはないけれど、ほかにどんな影響を与えるかを考えるとなんか引っかかってしまうのではないだろうか。
 
なんとなくだけど、こういう話がもっと出てきてより身近な話になっていけば、そういう気持ちにもだんだん整理がつくのではないだろうか。