"男のくせに"って考えたことありますか?

男のくせに、はないですが、掃除と料理が得意な男性に対して男性なのに珍しいすごいと思ったことはあります。

 

以下の記事の『女のくせに」と言われたら怒るのに、「男のくせに」は平気で言う女性の問題』『「女のくせに」はダメで、「男のくせに」はOK!?』の部分を読んでちょっと考えた。

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私はわりと好きなことを好きなように言い、目立つことをあまり気にしないタイプだったので、女性だからという理由でいろいろと嫌な目にはあった。

だから、"女らしくない"とか"女のくせに"いう言葉は大嫌いだ。さすがに直接それらの言葉を使う人はいなかったが、間接的に言われたり女であることを理由におとなしくしろとか生意気だとか理不尽なことを言われることはいまだにある。

"男らしくない"という言葉も同様に嫌いだ。 けんかをせず強引なこともせず、協調性があって他人の話を良く聞く人はいい人だと思う。男らしくなくても立派な人はたくさんいるのだから、男らしくなくて何が悪いのだろうか。

 

"男のくせに"も”女のくせに”も、性別に付きまとうイメージを個人に押し付ける性差別であることには変わりない。

それなのに、"女らしくない"という言葉が差別として認識され言われなくなる中で、"男らしくない"がなかなか性差別として認識されないのはなぜだろうか。

 

そもそも女のくせに、男のくせにといわれるとき、どんなイメージが伴うのか

女のくせに、でしゃばりだ/生意気だ/料理もできない/部屋が汚い/気が利かない/だらしがない

男のくせに、頼りにならない/細かい/いくじがない/根性がない/酒が飲めない

 

女だったら、家の中のことが良くできて、馬鹿でも良くて、おしとやかで、男を支える。

男だったら、家の中のことはできなくていいけど、しっかりしていて決断力があって根性があって、(女性を)ぐいぐい引っ張っていく。女々しい男は男らしくないといわれますね。

 

ものすごく極端に書けば、 男 > 女 、男=リーダー、だ。

 

このイメージはだんだん解消されつつあるけれども、多かれ少なかれ上記のイメージを持っている人はまだまだたくさんいる。

私は正直、個人差は大きいので、男性だから・女性だから何かができて当然だとは思っていない。上記のイメージにそぐわない人なんて周囲にいくらでもいる。

 

女らしくない人と男らしくない人はどんな人か

一言で言うと、「女らしくない」といわれる人は"強い"人で、「男らしくない」といわれる人は"強くない"人だと思う。

 

「女のくせに」をいわれる人、つまり生意気な人・でしゃばりな人というのは、有能な人やはっきりと意見が言える人、しっかりした人、行動力のある人、気が強い人が多いのだと思う。それはつまり、自分に自信があり自己主張ができる人たちだ。そういう人たちは機会があれば出世したりえらくなったりする。そしてさらに主張が届きやすくなっていく。

一方で、「男のくせに」といわれる人は、頼りにならない、細かい、いくじがない、根性がないといわれてしまう人たちだ。こういう人たちは争いごとや競争が苦手あるいは嫌いで平和を好む人、やさしい人、協調性が高い人でもあると思うが、おそらく気が強いわけではなく、自己主張をするタイプの人は少ないだろう。決して駄目な人ではなく、"男性に期待される能力"が高くないだけだろう*1

なぜ「女のくせに」と「男のくせに」が非対称的な扱いをされるのか

上で書いたように、「女らしくない」人はパワーがある人だ。だから、女のくせに、という女は劣っているという主張に対して、大きな声でNOがいえる。パワフルなのだから、胸を張って堂々と言うことができる。

女性が「女らしくなくてもいいじゃないか」というとき、それは家事ができなくても言いという意味よりも、私はちゃんとできる、あなたたちが思うよりもたくさんのことができる、私は能力がある、という意味が大きくなる思う。

 

でも、男性が「男らしくなくてもいいじゃないか」といったら、それは何を意味するだろうか。男でも家事ができていいだろうという意味ではなく、男でも意気地がなくていい、なよなよしてていい、決断力がなくていい、そういう意味に捉えられてしまうのではないだろうか。だとしたら、たとえ"男らしさ"という概念に懐疑的であっても、声は上げづらいだろう。
 
また、男性の中でも能力が高い人、自己主張ができる人は、社会でも成功している可能性がより高いだろう。人は自分がうまくいっているときは現状に不満や疑問を抱きにくい傾向があるので、その場合は、"男らしさ"という考えに対して疑問を持ちづらいのではないだろうか。

 

最後に、社会からの見えづらさについても書いておきたい。
能力がある人たちはどんどん出世するけど、男らしさを備えていないと出世しにくいとしたら、"男らしさ"という言葉に苦しむ男性は、社会の中でも目立たず見えにくい存在になってしまうのではないだろうか。
 

よだん

"男のくせに""男らしさ"が性差別として着目されはじめたのは環境が大きく変わったことが大きいと思う。
もはや男性が働けばどうにかなるというだけの社会ではなくなってきていて、男性自身が自分たちについて考えなくてはならなくなってしまっているのだろう。

 

 

*1:人にはいろいろな得意・不得意なことがあるだけだ