無責任な言葉などいらぬ(ダイエットについて)
ファッション雑誌やネット広告を見ると、「これであなたもやせられる」とかいろんなことが書いてあって、"やせればやせるほど幸せ"というメッセージが見える。
モデルはとても細く、健康に支障が出かねない細さの人もいれば拒食症や過食症の人恐れがある人までいる。その一方で、雑誌やネットで「男は意外とぽっちゃりが好き」というアンケート結果が載っている*1。太っている人を馬鹿にする人もいれば、痩せている人を賛美する人もいる。
毎年毎年いろんなダイエット方法が流行り、中には健康を損ないかねないものもある*2。また、安全かどうかわからないダイエットも推奨されることがある。
世の中は、右を見ても左を見ても、「女性の体は、こうがいい。こうしろ」というメッセージであふれている気がしていた。今でもしている。
そんなメッセージはくそ食らえと思ったのは何がきっかけだっただろうか。たしか拒食症の人の手記だったと思う。
筆者は、自分は太っていると思って何も食べられなくなったり、過剰に食べて吐いたり、自己嫌悪に陥ったり、必死になって運動したりして、骨と皮だけになり、最終的に拒食症の治療施設に行った。
彼女は、拒食症と過食症を行ったりきたりしていたのだ。もちろん肌はがさがさになり、頻繁に吐くから歯もぼろぼろで、とても痩せているけどお世辞にも美しいとはいえない。でも、彼女にとっては、数字がとても重要なものとなってしまったのだ。
最終的に彼女は生命の危機からは脱したけども、また拒食症になるかもしれない、という形で終わっていた。とにかく痩せるのが快感なのだ。方法が拒食から運動に変わっただけで、今も体重に執着してしまうという恐ろしいことが書いてあった。
それを読んで、誰かが無理をしてやせて、そのせいで健康を失ったとしても、"やせるように"メッセージを送ってきた人は何の責任も取らないのだから、無理するのは無駄だ、と思った。
自分が痩せたいと本気で思っていて、洋服をかっこよく着たいとか、おなかをぺったんこにしたいとか、筋肉つけたいとか、そう思うのなら好きにしたらいいと思う。
でももし、"痩せたい"が不安から来ているのであれば、本当に何か問題があるかどうか考えたほうがいいのではないかと思う。
世の中には、「なにがなんでもやせろ、今のままでは駄目だ」という不安をあおるメッセージがところかしこにあふれている。でも、そのほとんどはただ不安をあおっているだけで、それはとても無責任な言葉でしかない。責任を取らない何かのために、自分の何かを変える必要はないと思う。
そりゃ、このままだと病気になるレベルの太っている人は存在するし、そういう人たちがダイエットをするのはいいことだろう。でも、世の中の多くのダイエットしなきゃ、といっている人たちは標準体重で、大きなダイエットの必要はない。
そう思ってからは、週に何回か運動し、毎日3色野菜と果物を多めに食べ、体重が急激に増減しなければそれでいいと思うようになった。
私が体重と体脂肪を記録するのは、気兼ねなく甘いものを食べるためだ。増えたら控えるし、減ったら食べてもいい。気がとても楽だ。
自分を守れるのは、良くも悪くも自分だけなのだと思う。見知らぬ誰かの、無責任な不安商法につけこまれて体を壊すのだけは避けたい。