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あなたが私を見るとき、私はそれに気がついているのかもしれない

ファミレスで一人でご飯を食べていたら、ドリンクバーに行くたびに、こちらをみてわぁわぁ騒ぎ、アルファベットを言い合ってどうの騒いでいる男4人組がいた。

異常なテンションと、どうもこちらを見て何か言っているのがわかって、最初はちょっと変な人たちだなと思っていた。
しばらくして、そいつらが通りかかる女性のカップ数を当てあっているのがわかった。
 
気分が悪い所の話ではないし、ものすごく腹が立って怒鳴りつけてやりたかったけど、何かされると怖いから、もうあの店には行かないと心に誓いさっさと食べて家に帰った。そのときのファミレスには、あの店どころかそのチェーン店すべてに行っていない。とにかく気持ちが悪かった。
 
見知らぬ他人でも、知っている人でも、性的な対象として観察されたり何か言われたりすることは、私にとっては恐怖と怒りを呼ぶものだ。
もちろん、多くの人々が、他人を見たとき、性的なことを考えることがあるというのも知っている。でも、心の中で思うだけの人と、それを表現してしまう人とでは決定的に違うと思っている。
 
あの人たちは、4人で楽しく話をしているつもりなのだろう。周りの人が自分たちが何の話をしているかなんてわからないと思っていたのかもしれないし、相手の不快感など考えてもみたことがないのかもしれない。そんなものは関係ないと思っていたのかもしれない。
でも、本人たちがどう思っていても、気がつく人は気がつくし、それが自分に向けられたものではなくても、気持ち悪いと思ったり嫌ったりすることはある。
自分は観察者のつもりかもしれないが、迷彩服着てるわけでも透明マントを着ているわけでもないし、相手からも自分は見えているのだ。
だから、時には何かが自分に帰ってくることもある。
最初の男4人組の話だったら、もしその4人組のうちに私の知り合いがいたら、私は共通の知人・友人にその話をするだろう。「あいつはこんなことをファミレスでやっていた」と。そうなったら共通の知人・友人たちは、その人に対する態度を変えるかもしれない。十分に現実にありうる話ではないか、と思う。
 
そんなことを考えていて、この記事の前半を読んだ。

 

ネットで公開されているA氏のイラストは「 胸や尻の大きさ、髪の毛の匂い、素朴な表情や動作、スカートが風で揺れて見えたふともも、などが注釈付きで細かく書かれている」、のだそうだ。
見知らぬ人間のことを観察し、絵に落とし込む。それ自体は絵描きが良くすることなのだと思う。ただ、A氏の場合は、「自分は性的な目線で、このように女性(特定の見知らぬ女性校生)を見ていますよ」ということを書いている。
冒頭の4人が「あいつは○カップ」と言っていたのと本質は同じである。見知らぬ他人を見て、部外者のつもりで評価しているのだ。
 
それを他人が知ったらどうなるか、私のように、「気持ち悪い」「不愉快」「やめてほしい」といった意見もでてくるだろう。
もし現実で私がA氏が誰か知ってしまったら、私はA氏と必要最低限のことしか話さないだろうし、娘がいたらA氏とはあわせないだろう。A氏がしていることは、それなりの対応がなされてしまいうるものだと思うのだ。
もちろん個人差はあるだろうし、特に何もしない人もいると思う。でも私はそういう判断をするだろう。
 
他人はものを考える人であって、自分と同じ何かを考える人間だ。
だから、他人が嫌がることをしてしまえば、自分にそれが帰ってくることもありうるのだと思う。